イケダハヤトさん『フェイスブック』への応答とソーシャルメディア雑感

イケダハヤトさんから献本いただいた『フェイスブック』についてtwitterでコメントしたら、彼がブログに取り上げてくれていた。この際なので、まとまりないが、私が最近ソーシャルメディアについて考えていることを応答がてら書いてみたい。


まず、イケダさんとの出会いだが、私がソーシャルメディアについて発言し続ける彼をtwitterで知り、またkamado / Livlis川崎裕一さんと会った時にイケダさんの話が出たこともあり、昨年末にメールで私からコンタクトをとりお会いした。私が知りたかったのは、彼らのような社会人2,3年目の(つまり知り合いが増えていくステージにある)ソーシャルメディア観、そして彼自身の投稿し続ける動機だった。


ここでは動機の話をしよう。彼が発信し続けるのは、その筋で有名になるというか一家言あるということを示したいからというものだった。これは『フェイスブック』の表紙に彼自身の写真を使ったこととも一致する。では自分はどうだったかというと、たしかに似たような思いで20代後半に投稿をしていた。ただしそれはtwitterではなく、メーリングリストでであった。メーリングリストサービスのディレクトリから自分の興味のあるメーリングリストを探して登録し、読んで勉強して、たまに投稿するということをやっていた。今の若者は当時以上に実力が見られる時代に生きているから、すでに転職経験のある彼のそのような動機は自分の経験とも照らしてよくわかる。


でもMLとtwitterやらFacebookが何が違うかといえば、前者は「場」に投稿するもので、後者は「私の領域」に投稿するという点である。つまり前者にはそれなりに準備と心構えが必要なのだが、後者にはそれがさほど必要ない。実は、そのことが今回の私のtweetにつながっていく。


Twitter. It's what's happening.

@IHayato から献本頂いた『フェイスブック』読む。彼らの世代がソーシャルMに希望を感じるのはわかる。私もかつてWebにそれを感じたから。でも若さゆえ良いことしか書いていない。たとえば子どもが小学生でフルタイム共働きの私には他人のリアルタイムの近況などどうでもよい。


これだけ読み返すと少々キツイなぁ、と思うわけだが、このtweetに対しての補足は3つ。まずは、「子どもが小学生でフルタイム共働きの私には」だが、これはライフステージ上の違いを意識して欲しいということを示したものだ。ついで、「リアルタイムの近況」だが、私が問題にしているのは後述するように「リアルタイム」の方だ。最後に、「どうでもよい」だが、これは明らかに言い過ぎで、「極めて優先順位の低い情報」あたりが適切である。字数が140を超えたので、修正したらそういう言葉になってしまった(ソーシャルMのMあたりに苦労を見てとってほしい)。


と、こちらの意図を少し補足して上でイケダさんのブログエントリーの結論について反応する。

ですが、「近況という情報を高い頻度で発露したくもないし、受信もしたくない人」がかなりの数存在することも事実です。僕の奥さんはまさにそれです。デジタルコミュニケーション全般に強い必要性を感じていません。ウェブは日常的に使うんですけどね。

そういう方々をどう巻き込んでいくかは、これからのソーシャルウェブの課題だと考えています。誰しも貴重なストーリーを持っているわけですから、やっぱりウェブに巻き込んで行きたいと考えています。老若男女、体が不自由な人も、あらゆる人々が「語り部」になる社会です。


というのが彼の意見である。だが、「あまり巻き込もうとしないでいんじゃないの、いやむしろ巻き込まないで頂きたい、発信したければ発信するし」というのが私の思いである。まあ、ネットサービスなんて無数にあるわけだから、各人が勝手に使い分ければ良いと思う。ソーシャルメディアは色々なサービスのインフラだからそれは別格という風に言われるかもしれないが、世の中にはつながっていたい人とそんなにつながっていたくない人とがいる。


以上が直接的な彼へを応答。そして以下ダラダラと。


とはいえ、イケダさんの「フェイスブックが画期的なのは「近況」という情報をウェブの世界に映し出した点だ」と、「人々が近況をアップデートし、そこから新しい出会いや、ダイナミックな情報の流れが生まれている、というのが僕の主張です」には納得感がある。人の出会いが重要という点には完全に同意である(実際に私はメーリングリストから出会った貴重な友人が複数いる)。


でも、新しい出会いの絶対数は増えているかもしれないが、同時につい最近会ったばかりの友人に「リアルタイム」の近況を知らせる人、あるいはそれを読んで喜んでいる人もたくさん生み出していると思う。「つながりの社会性」というやつだ。好みの問題だが、よくそんなものに時間を使うなと思う。また「ダイナミックな情報の流れ」の一部として想定されていると思うが、ボタンをワンクリックするだけの転送、これを私は必ずしも肯定的には捉えられない。そんな「語り部」ならいらない。まあ、これも私がフォローする人を選べばよいだけなんだけど。


たしかにソーシャルメディア経由で、未知の情報を知るケースはある。そしてこれは私がtwitterに感じる大きな魅力でもある。だが、元のURLのページも確認せずに、ボタン1個で転送する行為が閾値を超えて増えることには危惧を覚える。これは私が広告会社で独創的なアイディアを出すべし、経営コンサルティング会社で何か情報を得たら自分なりの付加価値を加えて発信すべし、という訓練を受けてきたことが大きい。借り物や付加価値ゼロなら黙ってろということだ。もう少し大きな話をすると、転送によってムバラク大統領が辞任したようだが、アリゾナでの銃乱射事件の背景に、非常に攻撃的なtweetの無分別な転送があるという主張は無視できない。


またこのとにかく発信という環境は、営利企業、それも思想や理想よりもとにかく実利や便利を重んじる、エンジニアやマーケターたちによって作り出されていることを意識するべきだ。Webは商業化されて18年ほどたつが、少なくともストック情報が中心であった時代は、商業化が進んでもまだWebの思想は生き残っていた。だが、フロー情報中心になるともうそのような思想が生き残ることは難しい。


具体例を挙げよう。昨夏、ある大手サービスの経営幹部に取材した時にその人はこう言った。「より多くの人がより多くの時間にウェブを使うようになるということは、同じ時間にウェブを使っている人が増えるということである。その同期している時間を楽しめるようにするための仕組みがリアルタイムウェブだと考えている。つまり10年前には成立しなかったサービス、市場が今は成立するようになっている」と。彼らの理屈からすると当たり前だが、それでも私は「市場」という言葉に衝撃を受けた。


その人はさらにこう続けた。「したがって、ウェブのサービスは同期でも面白いというところがないとダメである。ユーザーとしては激しく更新したいわけだから、それに対応させるのは当然。チャットライクなサービスになるわけで、文章を長く書くというのはもうそもそもその様式には合わないサービスである。」ストック情報とパーマリンクの死を予感した。そしてその後、現実は、Mobile、Realtime、1 Clickへと邁進している。


市場を作る側からしたら、単位時間あたりの情報投稿量が1つのKPIになると思うのだが(mixiがそういう指標を作ったようだ)、そのほとんどが「リアルタイムの近況」であるのはどうなの? あるいはあまりの情報転送コストの低さに、転送元情報を確認せずに転送するのってどうなの? あなたは転送に何らかの責任を負っているのか? というのが私の考えである。サービス事業者は市場を作るためにサービスを設計し、コミュニケーションの中身そのもの、あるいはその先に作られる社会に対してはかなり無関心である。


もちろんイケダさんの言うように、何かの時に「近況」が見えるのは良いと思うし、人間というのは、何かの時を積極的に作るほど勤勉じゃないから、それが基本的にプッシュであることの必要性も分かるけど、とにかく「アレした、コレした」程度の情報が高い頻度で流れまくるのってどうだと思うわけである。それって思想的にも、中身的にもWebじゃないでしょ、と思うわけだが、そんな私は古いのかもしれないし、ただの正論マシーンかもしれない。


とここまでずいぶんと否定的なトーンだが、私はソーシャルメディアのUIについては期待を抱いている。というのは、大したことのない(と私が考える)情報の量がそこまで増えたときに、人びとが時間というフィルターで情報を選択するようになるかもしれないからである。


「未読」の概念が基本的にないtwitterfacebookのUIは、「今から遡ること3時間分の情報しか目を通さない」という行動を人びとに習慣化していくかもしれないというのがここでの期待の中身である。関心や人という生ぬるいフィルターとアルゴリズムで、結局われわれは情報に溺れる結果となった。これが00年代のWebである。だから「もうとにかく時間で区切るしかないよね」と人は思うようになるかもしれないということだ。


ちなみに現段階では、多くの人は最後にソーシャルメディアサービスにアクセスしてから、新たになされた投稿にはすべて目を通しているようである(きちんと読んでいないとしても)。またその手のクライアントソフトには、最後にサービスにアクセスした直後の投稿をご丁寧にトップに持ってきてくれるものも多い。さらにtwitterのリストによって優先度の低いものはあとで見る(あるいは結局見ない)という時間以外のフィルターの要素も持ち込まれている(そのくせ「リアルタイムウェブ」を標榜する!)。ということを考えると、前述のUIへの期待は「淡い」期待ぐらいに変更すべきかもしれない。


かくいう私もここ半年ほどは他人のリアルタイムの近況でそれなりに楽しんでいたフシもあった。が、10日ほど前に「リアルタイムの近況」の比率が高い人、中でも発信数が多い人はtwitterのフォローから外した。リストは使わずに、半分ほどのtweetに目を通しているが、自分の主関心とちょっとずれている、URL添付系の人もフォローしているのでそこそこ未知の情報や面白い視点に出会う。あとは今後住む予定の海外の街についての情報収集をしているのだが、1日に概ね2度のアクセスにしてみた。そして、その分、おろそかにしがちであったRSSリーダーを起点として練られたブログや解説記事を読む時間を増やし、その価値を再認識している次第である。

2010年度 ゼミレポート

今年は男ばかり6名であった。

  1. JRの広告 新しいメディアを備える車両と駅
  2. 日本における電子書籍の歴史
  3. SEMについて スマートフォン時代には?
  4. 代表的なCGMサイトについての分析
  5. ニコニコ動画原宿バージョンから見るいまどきの儲かるサイトの条件
  6. 萌えキャラによる地域活性化の実態

2010年度 卒業論文

今年は10名いたが、1人脱落。時間があったら追記でコメントするかもしれないが、とりあえず私ならこうするというタイトルを書いておく。順番としてはビジネス論、サービス論、カルチャー論、社会論というようなグラデーションです(といっても分類難しいなぁ)。

  1. 国内における電子雑誌ビジネスの鍵要因:新しいプラットフォーム向け市場で必要なものは何か?
  2. デジタル時代の「おまけ」:デジタル情報財の「おまけ」の変容
  3. SNSアーキテクチャとユーザー属性の関係
  4. 「歌ってみた」動画の投稿はデビュー経路となり続けるのか?:ユーザーの動機と情報環境と企業戦略から
  5. CMCにおける所属/承認欲求の解放:その適性と限界
  6. Wikipediaニコニコ大百科:政治的トピックについての比較文化
  7. ダウンロード違法化に伴うファイル共有ソフト利用状況の変化についての一考察
  8. 若者は本当に「離れ」ているのか?:古くて新しいスケープゴートを生む背景
  9. ネットいじめの時系列分析から考察するいじめの変化

10年代のWeb

拙論文が掲載された『コミュニケーション科学 32号』がWebで公開されました。


論文は「パーマリンク(Permalink):00 年代Web における情報アクセス構造と情報収益化モデルを決定づけた技術」(PDF:1.86Mb)というタイトルにあるように、00年代のWebを振り返る作業が中心になっています。


「情報へのアクセスの多様化」、「情報へのアクセスの深層化」、「情報間のリンク容易化」という情報アクセス構造の変化、そして「Pull型広告の誕生」「情報の編集価値の経済価値化」という情報収益化モデルの変化の端緒にあるのがパーマリンクだという分析です。ちなみにパーマリンクは2000年にPyraのブログアプリケーション(後にBloggerとしてGoogleに買収される)において実装された要素技術です。


実は実務家の方に読んで欲しいのは「10年代のWeb」と題された第4章です。00年代のWebを象徴するページはGoogleの検索結果画面であり、それは「関心が支配的なUI」。これに対して10年代のWebを象徴するページはtwitterのTimeLine画面(のようなもの)であり、それは「時間が支配的なUI」という論を展開しています。情報量の多さに対して関心中心でそれを縮減しようとしてきたのが00年代。時間中心でそれを縮減するようになる(かもしれない)のが10年代という意味です。だとすると、00年代のWebはパーマリンクのみでけっこう語れたけど、10年代のWebではパーマリンクは形骸化するかもという話でもあります。


最後には、「関心が支配的なUI」においては検索連動広告のような理性的、プアーなテキスト、Interestingな表現が適合するが、「時間が支配的なUI」においてはもっと情動的、リッチな画像や動画、Funな表現が適合的であろう。そしてユーザーが画面を見ている時間帯の判別、加えてその瞬間の気分に動的に適合する、広告なり、コミュニケーションなりを模索していかないといけないのでは、ということを書いています(伝えようとしています)。まあ、妄想と言えば妄想なのですがね。

ソーシャルメディアとアクセス解析(ゲスト講師:伊藤将雄さん)

先日のウェブ・マーケティング論に(株)ユーザーローカルの代表取締役である伊藤将雄さんに来ていただいた。伊藤さんとは、かつて「みんなの就職」についてのインタビューをさせていただいた時からの付き合いなのだ。ユーザーローカルは「なかのひと」「うごくひと」「User Insight」、最近では「TwiTraq」といったアクセス解析ツールを開発している会社。ただし社員数はまだ10人ほどで、比率としては営業職の方が多いのだという。これには驚いた。


話はインターネットが他のメディアと違い、計量可能なメディアであるということ。そしてその計量可能なメディアへとユーザーの関心が向かい、ゆえに広告予算も向かってきているという前段。それを受けて、アクセス解析の話へと進んでいった。CTR(Click Through Rate)、CPC(Cost Per Click)、CVR(ConVersion Rate)という基本概念の説明と簡単な練習問題が続く。


私が興味深かったのは「現在のトレンド」という最後の部分であった。


あるWebページのリファラー情報を分析すると、1年半ほど前までは、以下が典型だったという。

これが現在では、

と変わってきたというのだ。


SNSCGM」が10%から15%へと増えたのは想像に難くない。そう。そういうサービスの利用者が増え、そこに張られたリンクからの流入が増えているからである。では、「リファラーなし」が増えているのはなぜか。私が「リファラーなし」で想像するのは、「ブラウザのお気に入りから直接」と「メール(の一部)」であったので、にわかにはその理由がわからなかったのだが、伊藤さんによれば、以下の2つが伸びているのだという。1つは、twitterのクライアントソフトから。そしてもう1つはソーシャルゲーム中の広告からの流入だという。


このようにソーシャルメディア(関連)からの流入は、厳密なリファラー情報がとりにくい。そういう現実にアクセス解析会社や自社メディアを持つ企業はさらされているのだという。「SNSCGM」に分類されるものでも、ログイン空間内にあるサービスについては単純に参照元ページの実物を確認しにくいという問題がある。またtwitterについても、仮にそれがクライアントソフトではないtwitter.comのウェブサイトからの流入であっても、100%にかなり近い数字でTLで見かけた誰かのtweetからの流入であるため、それはリファラーとしてはtwitter.com/ としかならない。たしかにそうだ。


さらにPermalinkに注目する私として興味深かったのは、Permalinkを持つtweetページからのアクセスであっても、2ヶ月前のtwitterの大幅なリニューアルで、リファラー情報が取れなくなってしまったという点であった。


AJAXが採用されたため、Permalinkを持つtweetページのURLはたとえばこんな風に表現されるようになったのだ。

http://twitter.com/#!/sameokun/status/4664346697269249

わかる人にはわかるが、ここには#がある。つまりそれ以下はソフトウェアには基本的には無視される(メール中に使われたりする#はここから派生していて、本来、そこからあとはつっこまないで、反応しないで、無視してということである。実は人間はあえてそこに突っ込んだりするのだが、ソフトウェアにとっては逆なのである)。


以上まとめると、主要なソーシャルメディアについては厳密なリファラー情報が極めてとりにくいし、とれても現物のページを確認しにくいということである。


それで企業がやっているのは、独自のURLを短縮URLを使って流入元になって欲しいページに対して発行し、それで識別するということだそうだ。10年前のデルの新聞広告で、掲載媒体によって印刷されたURLが違うという話を彷彿とさせる。また、そういう需要も短縮URLサービスにはあるのだ、とこれも新鮮な話であった。


#などと書いていたら、twitterが専用の解析ツールを出しそうだというニュースが入ってきた。
Twitter’s Official Analytics Product Has Arrived
#これは強力に差別化された製品になるな。


ユーザー導線の話はおいておき、伊藤さんの講義から触発され、私がマーケティング業務的な話として考えたのは以下。これは私見です。


まずは、マーケティングセクションとウェブのデザインセクションの距離が遠くなり始めているということ。


アクセス解析ツールはそれなりの普及を見せて、マーケティングセクション内部では数字という共通言語で話ができるようにはなってきているという。だが、じゃあその結果をサイトのデザインに反映するようになってきているかという必ずしもそうではないらしい。その一番の原因はマーケティングとウェブデザインのセクションが別だから。マーケティングの人間はサイトそのもののデザイン変更には踏み込めないから、自分たちが予算を持っている広告というソリューションに向かうのだという。そこでは結局人件費以上のコストが発生するというわけである。


さらにtwitterFacebookで企業アカウントが増えているのは、企業サイトの場合、制作コストがバカにならないからであると見た。twitterFacebookであれば、アイコン1つあれば担当者がアカウントを作れてしまい、マーケティングや広報の担当者がつぶやけばよい。さまざなな端末への対応ソフトも充実している。だからもうキャンペーンサイトを作るのはやめたという風になってきている。もちろんそのようなアカウントを継続していくのは大変なんだけど、基本的に人件費の範囲で収まる。


また、マーケティングセクションのケイパビリティについては以下のようなことを考えた。これについては、相変わらずデータ解釈力が低いという問題がありそう。前述のとおり、CTR、CPC、CVRという共通言語を得たものの、なぜそのような高い、あるいは低い数値なのかという議論は十分にはされていないようだ。してもわからないというのはもちろんあるんだけど。すなわち単なる時系列での数値チェックが主たる業務であるようだ。


ビジネス・インテリジェンスなんて話もあるけど、結局データを解釈して仮説を出せる人間、そして検証できる人間は少ない。極端に少ない。仮説を検証するためには新しいデザインの実装・制作も必要になるわけだが、そのためには他のセクションに頼まないといけない。それは前述のとおり。


結局それができている一部のウェブサービス企業が強い。それを普通の企業サイトに求めるのは無理だとも言える。だから、計測から制作までワンストップでやってくれる××コンサルティングという名の会社にも需要はあるわけだ。


実は私は、2002年の可視化技術がしょぼかった時代にアクセス解析ツールの販売を経験しているんだが、本当に売るのが難しかった。その最大の理由は、ツールを使って出てきたデータをどう解釈してよいのかがわからないというものだった。「そこが面白いし、それがあなたの仕事なんじゃないの、マーケターさん!」と内心思いながらいたわけだけど。さらに、2004年にはこんな話を私はしていたけど、人材やケイパビリティについてはあまり前進していないという印象を持った。



やり方としては、組織内部の解釈力を上げるのではなくて、ページ遷移のコンテクストをページ提供側がうんと限定してしまうというのもあるんだが、これについてはまたいずれ。


ともあれ、とても触発された講義でありました。伊藤さん、あらためてありがとうございました。

父のこと、父とのこと(佐々木明/巨椋鴻之介)その4 最終回

前回

私はかねがね「最後に1冊本を出したい」と父が言っていたのは知っていたが、それが前述のような本であることは、手術直前に初めて知った。また父が詰将棋作家として、実に偉大な存在であったことも初めて知った。すなわち詰将棋の作問で塚田賞なるものを何度も受賞していることは知っていたが、それがどれほど素晴らしい賞であるかを知ったのはこの時期であった。


したがって、将棋や詰将棋について、ずぶの素人である私がもつ『禁じられた遊び』への感想は陳腐なものにならざるを得ない。けれども、父の自分史としてこの作品を読んだ私は、十分に満足できない研究成果として博士論文準備を進めていた時期にその出版がちょうど当たったこともあり、「私は他の作者を評価するにも、個々の作より作風に注目する」という父の考え方に勇気づけられたのだった。そのことはここに記しておきたい。


さて、ここでいう「作風」を鴻之介に見る場合、避けて通れないのが著書で「フォルム」という術語をあてられたものだ。「詰将棋の時間軸上にさまざまな手(出来事)が描き出すカタチを、とくにそれが快感を与えるか否かという見地から見る場合、フォルムという語を用いる」というそれである。鴻之介はフォルマリストであった。そして、詰将棋に限らず、文学作品を父が評するときにもこれは当てはまるだろうし、確信を持って言えるのは、自身を含めた人間を父が評するときにもそれが当てはまるということである。


実際、『禁じられた遊び』の最後の部分にこのような一節がある。

自分の歴史を書きあげてみて改めて思うのは、私が大きくいって純然たる繰返しを好まず、いつも少しずつ変わろうとしていたことである。ただしその変わり方は、そとから来るものに反応するというよりは、自分の中にある「より自分らしいもの」を見つけて行く変わり方だった。自分であることを変えずに内へ向かって変わること。私が「頑固で凝り性」だったとはそうした意味である。


さて、こうして父のこと、そして父との最後の時間をあらためて振り返ってみると、頭に浮かんでくるのはやはり「フォルム」という言葉だ。というのも、今回『禁じられた遊び』を再読し、自分の研究成果の表現方法について、私も「フォルム」を強く意識している点で父と似通っていることを再確認したからである。


私が忌み嫌うのは、お手軽な研究だ。でもなぜそれを嫌うのかといえば、それが書かれた論文が作品として美しくないからである。逆に、作品として練れていればお手軽な研究でも許せる。だから、私が自分の研究成果に、より厳密に言えばその成果の表現物に求めるものはこのようなものだ。それは、その内容、主として論理への賛否の前に、通読感のある1つの物語作品としてそれが成立しているか否かである。願わくば物語と論理が共存していて欲しいし、さらに、研究過程がその表現物の背後に迫力を伴って透けて見えてくるようであれば理想的である。すなわち「読み手にもたらす快感」を私も強く意識しているのである。だから私にとっての今後の課題は、その「フォルム」の具体形がどれだけの進歩を遂げるのか、である。そしてそれを評価できるのは自分だけである。


その程度では父には劣るであろう。だが、このように表現物に「フォルム」を追求する態度は、すでに私の中に染みついている。そして、そのことを私は強く誇りに思うのだ。


ありがとう。そして、さようなら。


その1にもどる

父のこと、父とのこと(佐々木明/巨椋鴻之介)その3

前回

さて、ここからは家族しか知らない2006年秋以降の話だ。


父はすい臓癌を患っていた。すい臓は「物言わぬ臓器」と言われ、その発見は早くはなかった。その兆候がはじめて見られたのは2006年9月。父からすると孫にあたる、私の息子の誕生日の会食時であった。脂っこい料理を食べていた父は不調をレストランで訴え横たわってしまったのだった。検査をしてみると癌が見つかり、余命は1年内外と宣告された。2006年の10月のことである。それから手術をするか否かの判断がはじまった。振り返ると、父、そして家族もこの時が一番のパニック状態だったと思う。


すい臓癌についての医学の常識は、「摘出できる可能性があるのならば、手術によって腫瘍を取り除く」というものだった。だが、父は手術を恐れた。というのも手術によって体が衰弱し、その時点でできていた「普通の生活」が脅かされるのはないかと考えたからだ。


「普通の生活」のかなりの部分を占めていたのが、彼の最後の著書の執筆であった。さらに言えば、それは彼の「遊び」についての本であった。それまで、比較的ゆっくりとしたペースで作業を進めていたのだが、それができなくなる可能性を彼は恐れたのである。仮に手術が成功したとしても、すい臓癌の場合はその転移の可能性が高いため、転移した癌によって余命が1年前後であることが多いという。転移した癌の進行を抑えるために抗がん剤を服用することはできるが、それによって生じる副作用により思考にとれる時間が減ってしまったり、場合によっては思考そのものが難しくなる可能性もあったのだ。


私と母、そして妹は父と一緒にセカンド・オピニオンを求めて国立がん研究センターなどに赴いたが、すべての医者の判断は手術を勧めるものであった。最後には父も考えを改めて、私たちは手術に賭けることにした。


幸い13時間に及ぶ手術は成功し、すい臓の腫瘍は完全に摘出された。2008年の早い時期に肝臓への転移が見つかるのではあるが。


さすがに体力が回復するまでしばしの時間が必要だったため、執筆が再開されたのは2007年3月からであり、そこからの7ヶ月間が勝負であった。初冬に上がったゲラを見ての校正作業を急いでいた時期には、やや疲れた表情で「やることがあるのはいいことだ」というのが父の口癖だった。


そして『禁じられた遊び 巨椋鴻之介 詰将棋作品集』は2008年4月に上梓された。まさに病と闘いながら父が書きあげたこの本は、巨椋鴻之介という彼のもう1つのアイデンティティである詰将棋作家としての作品集であり、また同時に巨椋鴻之介あるいは佐々木明の自分史という性格を併せ持つ読み物でもあった。出版後、毎日新聞では父と詰将棋と文学という共通点を持つ若島正さんが書評を書いてくださり、深く著者と著作を理解したその素晴らしい書評を父はとても喜んでいた。冒頭で父の死に対して「清々しさに近い気持ち」などと書いたのはこの彼の充実した最期を私が知っていたからだ。

禁じられた遊び 巨椋鴻之介詰将棋作品集

禁じられた遊び 巨椋鴻之介詰将棋作品集


すでに書いたように、2008年の早い時期に癌は肝臓に転移していた。それでもその後、京都在住の若島さんを自宅に招いて食事をするという機会も父は得られたし、小学生となった私の息子は将棋を祖父と指すようになった。口の悪い私は何度も「しぶといね」と言ったものだ。


だが、出版後の一連の仕事がなくなっていった2009年後半になると「もう難しいものは読めない」と言うようになり、2010年に入り一層の衰えが目立つと、「もうまとまったものは読めない」と父の口から出る言葉は変わっていった。そしてついには、「もう、やるべきことはやった。お前も来年はサバティカルだから今年中には逝くよ」と言うようになったのだった。それでも5月の末に私のサバティカルが正式に決まったことを告げると、少し寂しそうな表情を見せた。


がんの末期に現れる譫妄(せんもう)がひどくなってきたのは8月末で、そこからの40日ほどが最後の入院生活であった。一切の延命措置を退け、死を受けいれるための日々は、父の、そして私たちの考え方をよく理解してもらったホスピスで粛々と流れていった。私にとっての最後の父との楽しい会話は、9月20日。病院食の献立を選ぶために私がメニューを父に説明するときに「お前は魚へんの漢字が読めないのか」とにやっと笑いながら言われた、その時となった。


つづく