イケダハヤトさん『フェイスブック』への応答とソーシャルメディア雑感

イケダハヤトさんから献本いただいた『フェイスブック』についてtwitterでコメントしたら、彼がブログに取り上げてくれていた。この際なので、まとまりないが、私が最近ソーシャルメディアについて考えていることを応答がてら書いてみたい。


まず、イケダさんとの出会いだが、私がソーシャルメディアについて発言し続ける彼をtwitterで知り、またkamado / Livlis川崎裕一さんと会った時にイケダさんの話が出たこともあり、昨年末にメールで私からコンタクトをとりお会いした。私が知りたかったのは、彼らのような社会人2,3年目の(つまり知り合いが増えていくステージにある)ソーシャルメディア観、そして彼自身の投稿し続ける動機だった。


ここでは動機の話をしよう。彼が発信し続けるのは、その筋で有名になるというか一家言あるということを示したいからというものだった。これは『フェイスブック』の表紙に彼自身の写真を使ったこととも一致する。では自分はどうだったかというと、たしかに似たような思いで20代後半に投稿をしていた。ただしそれはtwitterではなく、メーリングリストでであった。メーリングリストサービスのディレクトリから自分の興味のあるメーリングリストを探して登録し、読んで勉強して、たまに投稿するということをやっていた。今の若者は当時以上に実力が見られる時代に生きているから、すでに転職経験のある彼のそのような動機は自分の経験とも照らしてよくわかる。


でもMLとtwitterやらFacebookが何が違うかといえば、前者は「場」に投稿するもので、後者は「私の領域」に投稿するという点である。つまり前者にはそれなりに準備と心構えが必要なのだが、後者にはそれがさほど必要ない。実は、そのことが今回の私のtweetにつながっていく。


Twitter. It's what's happening.

@IHayato から献本頂いた『フェイスブック』読む。彼らの世代がソーシャルMに希望を感じるのはわかる。私もかつてWebにそれを感じたから。でも若さゆえ良いことしか書いていない。たとえば子どもが小学生でフルタイム共働きの私には他人のリアルタイムの近況などどうでもよい。


これだけ読み返すと少々キツイなぁ、と思うわけだが、このtweetに対しての補足は3つ。まずは、「子どもが小学生でフルタイム共働きの私には」だが、これはライフステージ上の違いを意識して欲しいということを示したものだ。ついで、「リアルタイムの近況」だが、私が問題にしているのは後述するように「リアルタイム」の方だ。最後に、「どうでもよい」だが、これは明らかに言い過ぎで、「極めて優先順位の低い情報」あたりが適切である。字数が140を超えたので、修正したらそういう言葉になってしまった(ソーシャルMのMあたりに苦労を見てとってほしい)。


と、こちらの意図を少し補足して上でイケダさんのブログエントリーの結論について反応する。

ですが、「近況という情報を高い頻度で発露したくもないし、受信もしたくない人」がかなりの数存在することも事実です。僕の奥さんはまさにそれです。デジタルコミュニケーション全般に強い必要性を感じていません。ウェブは日常的に使うんですけどね。

そういう方々をどう巻き込んでいくかは、これからのソーシャルウェブの課題だと考えています。誰しも貴重なストーリーを持っているわけですから、やっぱりウェブに巻き込んで行きたいと考えています。老若男女、体が不自由な人も、あらゆる人々が「語り部」になる社会です。


というのが彼の意見である。だが、「あまり巻き込もうとしないでいんじゃないの、いやむしろ巻き込まないで頂きたい、発信したければ発信するし」というのが私の思いである。まあ、ネットサービスなんて無数にあるわけだから、各人が勝手に使い分ければ良いと思う。ソーシャルメディアは色々なサービスのインフラだからそれは別格という風に言われるかもしれないが、世の中にはつながっていたい人とそんなにつながっていたくない人とがいる。


以上が直接的な彼へを応答。そして以下ダラダラと。


とはいえ、イケダさんの「フェイスブックが画期的なのは「近況」という情報をウェブの世界に映し出した点だ」と、「人々が近況をアップデートし、そこから新しい出会いや、ダイナミックな情報の流れが生まれている、というのが僕の主張です」には納得感がある。人の出会いが重要という点には完全に同意である(実際に私はメーリングリストから出会った貴重な友人が複数いる)。


でも、新しい出会いの絶対数は増えているかもしれないが、同時につい最近会ったばかりの友人に「リアルタイム」の近況を知らせる人、あるいはそれを読んで喜んでいる人もたくさん生み出していると思う。「つながりの社会性」というやつだ。好みの問題だが、よくそんなものに時間を使うなと思う。また「ダイナミックな情報の流れ」の一部として想定されていると思うが、ボタンをワンクリックするだけの転送、これを私は必ずしも肯定的には捉えられない。そんな「語り部」ならいらない。まあ、これも私がフォローする人を選べばよいだけなんだけど。


たしかにソーシャルメディア経由で、未知の情報を知るケースはある。そしてこれは私がtwitterに感じる大きな魅力でもある。だが、元のURLのページも確認せずに、ボタン1個で転送する行為が閾値を超えて増えることには危惧を覚える。これは私が広告会社で独創的なアイディアを出すべし、経営コンサルティング会社で何か情報を得たら自分なりの付加価値を加えて発信すべし、という訓練を受けてきたことが大きい。借り物や付加価値ゼロなら黙ってろということだ。もう少し大きな話をすると、転送によってムバラク大統領が辞任したようだが、アリゾナでの銃乱射事件の背景に、非常に攻撃的なtweetの無分別な転送があるという主張は無視できない。


またこのとにかく発信という環境は、営利企業、それも思想や理想よりもとにかく実利や便利を重んじる、エンジニアやマーケターたちによって作り出されていることを意識するべきだ。Webは商業化されて18年ほどたつが、少なくともストック情報が中心であった時代は、商業化が進んでもまだWebの思想は生き残っていた。だが、フロー情報中心になるともうそのような思想が生き残ることは難しい。


具体例を挙げよう。昨夏、ある大手サービスの経営幹部に取材した時にその人はこう言った。「より多くの人がより多くの時間にウェブを使うようになるということは、同じ時間にウェブを使っている人が増えるということである。その同期している時間を楽しめるようにするための仕組みがリアルタイムウェブだと考えている。つまり10年前には成立しなかったサービス、市場が今は成立するようになっている」と。彼らの理屈からすると当たり前だが、それでも私は「市場」という言葉に衝撃を受けた。


その人はさらにこう続けた。「したがって、ウェブのサービスは同期でも面白いというところがないとダメである。ユーザーとしては激しく更新したいわけだから、それに対応させるのは当然。チャットライクなサービスになるわけで、文章を長く書くというのはもうそもそもその様式には合わないサービスである。」ストック情報とパーマリンクの死を予感した。そしてその後、現実は、Mobile、Realtime、1 Clickへと邁進している。


市場を作る側からしたら、単位時間あたりの情報投稿量が1つのKPIになると思うのだが(mixiがそういう指標を作ったようだ)、そのほとんどが「リアルタイムの近況」であるのはどうなの? あるいはあまりの情報転送コストの低さに、転送元情報を確認せずに転送するのってどうなの? あなたは転送に何らかの責任を負っているのか? というのが私の考えである。サービス事業者は市場を作るためにサービスを設計し、コミュニケーションの中身そのもの、あるいはその先に作られる社会に対してはかなり無関心である。


もちろんイケダさんの言うように、何かの時に「近況」が見えるのは良いと思うし、人間というのは、何かの時を積極的に作るほど勤勉じゃないから、それが基本的にプッシュであることの必要性も分かるけど、とにかく「アレした、コレした」程度の情報が高い頻度で流れまくるのってどうだと思うわけである。それって思想的にも、中身的にもWebじゃないでしょ、と思うわけだが、そんな私は古いのかもしれないし、ただの正論マシーンかもしれない。


とここまでずいぶんと否定的なトーンだが、私はソーシャルメディアのUIについては期待を抱いている。というのは、大したことのない(と私が考える)情報の量がそこまで増えたときに、人びとが時間というフィルターで情報を選択するようになるかもしれないからである。


「未読」の概念が基本的にないtwitterfacebookのUIは、「今から遡ること3時間分の情報しか目を通さない」という行動を人びとに習慣化していくかもしれないというのがここでの期待の中身である。関心や人という生ぬるいフィルターとアルゴリズムで、結局われわれは情報に溺れる結果となった。これが00年代のWebである。だから「もうとにかく時間で区切るしかないよね」と人は思うようになるかもしれないということだ。


ちなみに現段階では、多くの人は最後にソーシャルメディアサービスにアクセスしてから、新たになされた投稿にはすべて目を通しているようである(きちんと読んでいないとしても)。またその手のクライアントソフトには、最後にサービスにアクセスした直後の投稿をご丁寧にトップに持ってきてくれるものも多い。さらにtwitterのリストによって優先度の低いものはあとで見る(あるいは結局見ない)という時間以外のフィルターの要素も持ち込まれている(そのくせ「リアルタイムウェブ」を標榜する!)。ということを考えると、前述のUIへの期待は「淡い」期待ぐらいに変更すべきかもしれない。


かくいう私もここ半年ほどは他人のリアルタイムの近況でそれなりに楽しんでいたフシもあった。が、10日ほど前に「リアルタイムの近況」の比率が高い人、中でも発信数が多い人はtwitterのフォローから外した。リストは使わずに、半分ほどのtweetに目を通しているが、自分の主関心とちょっとずれている、URL添付系の人もフォローしているのでそこそこ未知の情報や面白い視点に出会う。あとは今後住む予定の海外の街についての情報収集をしているのだが、1日に概ね2度のアクセスにしてみた。そして、その分、おろそかにしがちであったRSSリーダーを起点として練られたブログや解説記事を読む時間を増やし、その価値を再認識している次第である。