このひと月

今の気持ちについて語ると、依然としてかなりショックを受けた状態である。地震にまつわる情報についてはできれば知りたくないし、ちょっと頭を使う本なども読む気がほとんどしない。ウェブ関連のニュースにも関心があまりなくなっている。情報に触れたくないし、触れてもが頭に残らない状態。


1995年の阪神淡路大震災の時とは、これはまったく違う反応である。いつでもどこか少し離れたところから客観視するのが得意な自分がこうなったことに正直驚いている。そしてなぜこんなになってしまったのかについて考えると、震災後の4,5日間に映像を見過ぎたからだということに思い当たる。


何と言っても、家が倒壊するというよりも町が消えるという津波の映像がキツすぎた。破壊と消失は本質的に異なるものであると感じた。また1995年と違い、今の私には妻子がいる。だから家族を失った人たちの悲しい、それでいながら天災ゆえに呆然とするしかない気持ちはかつてより想像できる。避難所で子どもの学校の心配をする親の気持ちもわかる。また家族を失いながら被災地で診察をする医師の強さを見れば、自分の不甲斐なさにもいらだちを覚える。


3月11日から1ヶ月以上が過ぎ、国外研究員としてカリフォルニアに出かけるのが来週に迫った。センスのない人たちは「海外に逃げられて良いなぁ」などと言う。でも被災国から逃げるのではなく、このやりきれない気持ちになる情報から逃げるという意味では少しの期待が今の私にはある。転地療法できちんと仕事ができるようになればと思う。