1年終わった感じ

本日最後の教授会があり、2008年度の入学者許可者数も確定し、1年間が終わった感じがする。気持ちよーくサバティカルに旅立った同僚が、ゼミ生を任せて行ってくれたせいで、初年度から卒論指導もして、めでたく6名が卒業となったが、これはまた来週の卒業式に出てから書くだろう。明日は愚息の卒園式でもあるし。


この大学で1年働いてみての印象を大学教師の3つの仕事の面から書いてみよう。


まずは研究。これは周りを見ると、やっている人とやっていない人がいるわけだが、全体としてはみなさんアセットとなる研究をコツコツやっているという印象だ。特に若いうちはお手軽な研究で論文の本数を稼いでしまう人がいたり、えらい先生から仕事を振られてこなしているだけという人がいるが、そういうあくせくした感じはあまりない。自由と責任がうまく均衡している印象。長期のサバティカルが2年あったり、個人研究費、学会費や学会出張の補助、図書購入費などは私大ではトップレベルで懐が深いと感じる。この点は、大学院を過ごした慶應義塾SFCとは対照的である。賛否はあるだろうが。


そういう中で自分としては及第点ぎりぎり。苦労しつつデータを集めて、ぼちぼち刈り入れにむかいつつある。ただし書くのが遅いなー。俺。という感じ。まあ、2007年度は、教育用のコンテンツを作るのと、プライベートで忙しくて、研究については割り切っていたのですが。


次に教育。担当している講義はすべて専門科目で、(ある程度)積極的に選んで履修した学生ばかりが相手だから、200人の一般教養科目というのとは違う。コミュニケーション学部というところのネットワーク・コミュニケーション専攻というところには、少なからず、ネットというメディアに興味を持った学生がいる。この点からみると私は果報者だね。ゼミではけっこう面白い論文書く学生もいて、純粋に現象面で未知のことを知ることも多い。


まだまだ若い方なのと、立派な先生のもとで純粋培養で教員になったのではないので、言葉づかいからしてどうもあんま「センセイ」らしくないようだ。学生には「さん」づけで呼ばれているし。でもこれはとても良いことだと思うので、今後もこの感じでやろうと思う。というのも、自分自身、いつの間にか自分の先生が偉くなってしまって、コミュニケーションの量と質が減って、「あー、このひとは俺(の研究)に理解がないな」と感じた時につらい思いをしたから。もちろん、突き放すことも必要だけど。


学生との会話の中から「これは自分でもヒット」と思うような研究テーマが出てきて、それに学生が嬉々として取り組んでいたりするとたまらなく嬉しい。また懸賞論文で賞をとった学生もいて、これも嬉しかった。


最後に行政。驚いたのは、その民主主義の浸透度合い。全学教授会というのもある。今年退官される先生が、「これだけの直接民主制はスイスの一部の州を除いてない」と言っていたが、そういうことだ。もちろんこれには、理事会の迅速な意思決定でどんどん進むのと逆で、弊害もあるわけですが。


委員の仕事も、年齢や在籍年数を問わず配分される傾向が強い(もちろんまったく働かない人もいるが)。一般的には、若い人に雑用がどんどん押しつけられて、ひどい大学になると、教員でも教授会の議事録を書くらしいが、そういうことはない。若い人に2年の長期サバティカルが優先的に割り当てられる伝統もまだあるし。うちの学部は教員数が少なく、他学部と同じポストを埋めるために兼務が多いのは玉に瑕ですが。


全体として、職場としてはかなり良いというのが結論。実際に長く勤める人が多いわけだが、それがよくわかった1年であった。そしてこの印象が変わらないことを望む。