「既知のものを調べる」と「未知のものに出会う」

私の近年の関心事の1つはウェブユーザーにおける「既知のものを調べる」と「未知のものに出会う」という2つの行為である。前者は検索行為に代表される。検索については連想検索などという技術開発も進んでいるが、今は言語として検索窓に入力して探したり調べたりするインターフェースが一般的である。これに対して、後者はリンクをたどっていって知らないものに出会うという場合や、リコメンデーションされるというような場合がある。未知のものといっても近接するものとの出会いというわけだ。


後者は基本的にウェブコンテンツそのものを読むことが求められるが、どれだけコンテンツを読んでいるのかいなというのが最近のある分析を通じての感想である。そしてこのあたりの事実をどう把握していくかの調査手法を考えないといけない。


実はこのエントリーを書いたのはこの東さんの記事をクリッピングしておきたかったから。彼は「メタデータ」ということばを切り口にこの記事を書いているが、以下の部分の問題関心などは近い。

ところで、「つながり」と「同期」と「メタデータ」で特徴づけることができるこのネットコミュニケーションの空間は、エンジニアの視点には新たなソフトウエアの格好の実験場に映り、マーケティングの視点にはビジネスの巨大な金鉱に見えるだろう。しかし、それは、人文系の視点では、実はかなり深刻な問題を抱えた社会空間として現れる。というのも、その「つながりの王国」においては、ユーザーは自分の好みのコンテンツにしかアクセスしなくなるし(コミュニティーの分断の問題)、そのアクセスもアーキテクチャー頼みになってしまうし(アーキテクチャーの権力の問題)、さらにはメタコンテンツばかりを消費して肝心のコンテンツには関心を向けなくなってしまうおそれがあるからだ(コミュニケーション志向メディアの台頭の問題)。

メタデータ」が主役のコンテンツ消費・人文系が語るネット(下)
http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMITbe000008112007