ウェブ進化論

この本は今となっては希少な初刷りを発売当日に購入し,すぐに読んでしまっていた.後で書くようにこの本に対する僕の見方はかなり特異である.それは著者を中途半端に知っている.それも9.11以前の彼だけを知っているという理由によるところが大きい.加えて自分自身の人生においても大きな時間の使い方の変化が決まったタイミングに読んだので,このような変な読み方しかできなかったのだと思う.


それなりの感想メモも用意していたのだが,なかなかその感想をアップできないうちに本がどんどん売れて,さらにアップしにくい様相を呈してきていた.


ということで,ブログ管理画面からの一発投稿で気軽にアップロードすることにした.


さて,この本に対する僕の感想だが,

  1. 大変化に向かう3つの要因などの分析は,案外陳腐
  2. 終章の存在に対する驚き
  3. ウェブ進化論という名の梅田望夫進化論
  4. 何はともあれ勇気づけられた部分あり

という感じ.


分析が案外陳腐という部分については,彼のblogを以前から読んでいたことも大きいし,自分自身この手の分析をしてきたからである.オープンソースに注目して本を書いていたし,CGMということばが出るはるか前からその手の研究を情報発信や情報管理コストという観点から見てきたし,さらに自発性という動機の部分や情報論から見た信頼についての研究もしてきた.だから「不特定多数無限大の協働」といわれても「何をいまさら」の感が強い.


ただし,分かりやすく表現する彼の技術はなかなかのものである.なるほどこれが共通言語というやつだ.が,驚いたのは「脱エスタブリッシュメントへの旅立ち」という名の終章の存在.これは普通,あとがきで書くことでしょ.この章は,それまで何とかうまくやってきた共通言語という部分を破綻させたように思う.梅田ファンなら老若男女問わず「なるほど見事な志だ.梅田さんらしい」と思うだろうが,彼を知らない人が読んだら「あんたは,もうそこそこ成功したからこういうことが言えるんだ」と思われるはずだ.大体「エスタブリッシュメント」という言葉を使うことがかなりいやらしい.つまりこの終章はこの本の作品としての完成度を下げている.きっと時間切れで推敲できなかったんだろうな.


とはいえ,こういベタな梅田さんが書籍というメディアで露出されたことは,僕にはよい意味でも驚きであった.僕はビジネスマンとしての彼しか知らないが,その印象は相当スマート.時期的には96年,97年というシリコンバレーで独立する直前で,エスタブリッシュメントとの交際のピークではなかったけれど,かなり上り調子のときであったことには変わりはない.そういう彼が,この終章では,「エスタブリッシュメント」という名の別れた昔の恋人に向かってカッコつけた台詞を吐いている,弱く,実にカッコ悪い.つまりこれは「ウェブ進化論」という衣をまとった「梅田望夫進化論」なのだ.おそらく本人が一番表現したかったところはそこに違いない.


というわけで,梅田さんは本当のところどこまで変わったのだろうというのが今知りたいことだ.


実は僕自身,この本を読む3週間ほど前にある節目を迎え,それを機に大学時代の親友へと報告のメールを書いた.それはある種の決意表明ともいえるものであった.ところが親友が僕のメールについてよこした感想は,時間をかけて書かれたものであるにもかかわらず,それは今の僕の一面しか理解していない内容のものだった.無理もない.ここ10年ほどは2,3年に一度しか会わない彼と,毎日のように語りあい,わかりあえたと思っていたのは今から16年以上も前のことなのだから,と思って納得したけど,それはそれでちょっと悲しかった.


というわけで,梅田さんはこのエントリーを読んだら,少々悲しい思いをするかもしれない.でもとにかく梅田望夫は若い世代とともに第二の人生を走り出したらしい.しかもエスタブリッシュメントとは言わないまでも若い世代のエリートたちと走り出したのだから,「観察者」であると同時に「インサイダー」として生きることが彼の後半生に突きつけられた問いであろう.何を言うかではなくて,何をなすかでその半生は評価されるのである.


そしてこれは僕自身の課題でもある.