論文の査読

1年以上前に投稿した論文の査読が返ってきた。結構ひどい扱いを受けた。

査読者Aはきちんと1ヶ月以内に査読をして、これが条件付き採録のB判定。査読者Bが不届きな輩で、3回督促を事務局が行っても結局無視。それで別の査読者Cを立てたのが、半年後。そしてこの査読者Cも督促を2回無視。それで3回目の督促でやっとこさ読んで、Dの不採録の判定。2人の査読者の意見が割れたので、第三の査読者Dが見ることになり、その結果、却下とはならずに書き直しの判定となって戻ってきた。しかも、今度は規定により2ヶ月以内に再投稿しろという話だ。

たしかに読み直してみると、あまりうまく書けたものではない。改善の余地はある。この1年強で、アカデミックな方たちのお好みというのはかなりわかってきたので、今ならもっとうまく書くことはできる。

が、○○情報学会というのはこんなに腐っているのか?

査読者Bは言語道断だし、査読者Cの査読も慇懃無礼とはこのことというようなコメントだ。「仮説検証型の論文になっていないからわかりにくい」というコメントだけである。本文中にはまるで朱が入っていない。

この学会は実務家と学術研究者の両方がいるのだが、学術研究者の人たちの平均年齢が高い。しかも、ここ5年ほどで、にわかにITとか言い出した人が多い。実務の現場で起こっていることに疎い。でも存外、査読者の中核をなしていたりする。お手軽なワンショットの実証研究が仮説検証型で書いてあればこの人たちの査読は通りやすい。ITと組織の関係なんてものを時間をかけてじっくり見ていこうなどと思っていないから。ITを単なる作業効率化の道具ととらえていて、ワンショットの調査結果に一喜一憂(憂いたら論文にはなりにくいけど)。

Cnetでもhttp://blog.japan.cnet.com/umeda/archives/001510.html なんて議論があったが、私の扱っている研究対象というのは新しい現象なので、それに対して既存理論から演繹された仮説とその検証という作業だけで切り取ると、面白くないのよ。はっきり言って。現象が矮小化されるのよ。ということがこのピュアアカデミックな方たちにはわからないのだろうな。こういうことを言っているのはなにも私だけではなくて、若い世代には結構いるのだ。別の学会を作る方が建設的かもね。

とはいえ、まともな学者である一橋の沼上さん(40代の経営学者としては国内トップだと私は思っている)なんかは、経営学は科学ではなく、アートだとという認識に立ち、彼の博士論文は極めてジャーナリスティックに書かれた歴史物(asin:4561263152)である。彼は「われらが内なる実証主義バイアス」なんて論文も組織科学に投稿していて、わかりやすい実証研究も良いけど、理論研究も目配せする必要がある、とも言っているのよね。こういう良心みたいな人がいるのは救いだけど、結局トホホな査読者におもねって、若い人も彼らの流儀を再生産するようになるのがいやだよね。

さてさて、ともあれ2ヶ月以内に再投稿してみますか。そのためにぼちぼち投稿モードに入っていた論文を今週中に仕上げよう。