ゴッホとモネ

私はけっこう絵を見るのが好きだ。そして日本人に多いタイプなのだが、印象派の絵が好きだ。その中でも月並みだがゴッホとモネが好きだ。ちょうど今http://www.tokyo-np.co.jp/event/gogh/をやっているのだが、絶対に行かなくてはと思っている。

実は学生になったときに、月に1日は平日に完全オフという日を作って、映画や美術展などを見て、その後にCDショップや本屋でぶらつくことに決めた。年明けまでうまくいっていたのだが、先月は六本木ヒルズで「Sideway」見ている途中に保育園から電話があり、愚息の発熱の報が届いた。午後に行こうと思っていた長年お世話になっているパリ在住の画家、大倉さんの個展が開かれているギャラリーにも行けなかった。そして今月は本当に時間がないのでこれまた断念だ。が、絶対に5月にはゴッホ展に行くつもりだ。

今日はゴッホとモネとの思い出について語ろう。

両方とも高校の歴史の教科書に載っていたわけだが、はじめて実物を見たのは大学2年生の時にオルセーに行ったときだ。正確に言うと、幼少の時にパリに住んでいたのでその時も、オルセーはなかったが、オランジュリーかどこかで見たことがあるはずだ。

19の時にオルセーで見たときはゴッホが気になった。あの、筆遣いと黄色は何なのだろうと感じた。しかしそれまでであった。一方のモネはほとんど記憶に残らなかった。

が、モネの睡蓮に引き込まれる時がやがて訪れる。私は1年間のフランス留学の後にどうしてもNYが見たくなって、ろくに金も持たずに3週間ほどNYに滞在した。22の時のことだ。しかもマンハッタンにこだわりがあり、あまり治安の良くない91年に「連泊するから」ということで安宿をさらに値切り泊まっていた。が、代償はかなり大きく、朝起きるとスーツケース丸ごと盗まれていたということを経験した。おそらくホテルの従業員の犯罪だったのだと思う。

で、警察に行っても殺人でもないということで、ろくにとりあってもらえず、服を買うために寝巻で5番街を歩いている時に笑われたりして、非常に人間不信に陥ったことがある。ワシントンスクエアでボーっとしていたら原理研の勧誘にあったりと、隙だらけの人間になっていた。

そんなときにMomaで出会ったのがモネの睡蓮の絵だった。これにはひきこまれ、癒され、救われた。数時間見ていてもまったく飽きなかった。あれはある種の日本趣味だから、郷愁感が満たされたのかもしれない。いずれにせよ、絵の力をあれほど感じたことは未だかつてない。以来、パリに行くとマルモッタン美術館にはほぼ必ず行くほどの睡蓮ファンである。

一方のゴッホであるが、23の時に彼が最期を迎えたオーベール・シュール・オワーズにも行ったのだが、さほどの関心は湧かなかった。が、社会人になった25の時にアムステルダムゴッホ美術館に行き、初期の暗い色調のものを見てから俄然興味が湧いてきた。南仏の太陽というものも私は知っていたので、暗いアムステルダムから南仏に移り住んだゴッホがああいう黄色を使う気持ちが少しながらわかってきた。アルル滞在期間中は、耳切り事件など不幸な面が強調されるが、創作意欲をかき立てられたのだと思う。そうした画家の生き様と画風が自分の中で結びついてくると、絵を見たときに自分なりの感じ方ができてくる。ゴッホについてはあの黄色とあの青の対比の中にもある調和が好きである。

実は、今回は、25の時にアムステルダムまで行ったものの、ちょっと時間がなくてあきらめたクレーラーミューラーのものも来ている。ということで是非是非行きたい。