はてなダイアリーからはてなブログへ

このはてなダイアリーですが、はてなブログに移行しました。URLは以下のとおりです。
http://yuichisasaki.hateblo.jp/

2012年半ばまでは、はてなダイアリーはてなブログの両方に同じ記事を投稿していましたが、面倒なのでもうやめています。今後「ダイアリー」のコンテンツを「ブログ」にインポートするかもしれませんが、今はその予定はありません。

『閉じこもるインターネット』

閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義

閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義

僕がフェイスブックを愛せない理由は、そこの流れる情報の多くが私的なコトすぎるから。また何らかの事情でそれを利用できない人に対する配慮がない感じも気に入らない。さらにオープンなWebと付き合ってきた自分としては巨大な閉じた空間がWebにできるのもあまり良い気はしない。


でもイーライ・パリサーが危惧するのは、フェイスブックのそういうところではなくて(一部関係するが)、そのパーソナライズ化だ。フェイスブックのNewsfeedのデフォルト設定では、エッジランクというアルゴリズムによってその人が興味を示すだろうコンテンツが優先的に表示される。仮にtwitterのように時系列で並べようとしても実は表示されないコンテンツがある。


その人が興味を示すだろうコンテンツのうち、一部がクリックされ、「いいね!」されればそれがまた推奨の精度を上げ、究極的にはあなたの見たいものだけがそこには表示されるようになる。ニコラス・ネグロポンテが「Daily Me」と呼んだものだ。それによりわれわれは知らなくてはいけない/話題にしなければいけない話題から遠ざかり、ついには触れなくなる。それが民主主義の危機につながるというのだ。


パーソナライズ化ということではグーグルも当然のことながら標的に挙がる。「閉じこもるインターネット」とは検索エンジンにクロールされない空間のことばかりを指しているわけではない。原題の「Filter Bubble」とは情報のフィルターにくるまれたシャボン玉を想像してもらえばよいだろう。グーグルもログインして使えば、今では表示される検索結果は人によって大きく異なる。クリックした検索結果の履歴からその人がクリックしそうな検索結果がカスタマイズされて表示される。最近ではSearch Plus Your Worldによって、自分が「+1」したコンテンツやGoogle+で自分がサークルに入れている人物がシェアしたコンテンツなどが優先的に表示されるようになっている。


このパーソナライズ化、より広く言えば「コード」が民主主義を脅かすという議論はキャス・サンスティーンやローレンス・レッシグらがかねてから展開していたものである。とはいえ、技術が社会に浸透してきた段階で、普通の人には見えにくいパーソナライズ化の現状とパーソナライズ化がどのようなアルゴリズムによって実現されているのかが一切公開されない現状を大きな課題として指摘したこの啓蒙書には一読の価値がある。「心地良いWeb」には落とし穴があるのだ。

アイスタイル/@cosmeと私

化粧品クチコミサイト@cosmeを運営するアイスタイルが東証マザーズに上場した。初日終値が1411円となり、企業価値は86億円となった。この企業は僕にとっては特別な存在なので少し書いておこう。


僕はUser Generated Mediaがどういう収益モデルを組合せていくことで収益を伸ばしていくのかをずっと追っている。「ユーザーコンテンツの収益化」というテーマだ。最初にまとまったデータを集めたのが2001年のことで、2001年9月17日にCEOの吉松徹郎さんと@cosme主宰の山田メユミさんと初めて会っている。それ以来の付き合いで、吉松さんとは毎年事業を振り返りながらご飯を食べる間柄だ。


初めて会った時に、吉松さんに言われたのは「佐々木さんの『コミュニティ・アライアンス戦略』(2000年)はとても熱心に読んだ。ユーザーの生んだ情報価値を経済価値に変えていくのはまさにアイスタイルのテーマで、なぜこの本の事例にうちが取り上げられないのか不満に思った」ということだった。


たしかに僕が本の中で提案していたように、アイスタイルは@cosmeというネット・コミュニティ運営をリードする山田さんと、その情報価値をお金に換えることを考える吉松さんという二頭体制をとっていた。リーナスとレッドハットのCEOであるロバート・ヤングが別であったように。収益化にもタイアップ広告で当時それなりに成功していた。でもなぜ僕が2001年以前にアイスタイルや@cosmeに接近しなかったのかは覚えていない。もちろんその存在は知っていたけれど。化粧品を扱うサイトでユーザーとして馴染みがなかったからかな。


ちなみに当時の僕は研究者ではなく、NTTデータグループの経営コンサルタントで、実はUGMやWeb開発企業への投資業務も担当していた。その一環で、UGMで将来性があると思われたアイスタイルにもNTTデータから5000万円を投資した。2002年に入ってから業務面でNTTデータとアイスタイルは協力するようになっており、それを経て2003年6月に出資と相成った。デューディリジェンスNTTデータが外部機関も使ったが、僕も担当した。


当時はアイスタイルの資金繰りがあまり芳しくない状況で、投資家も2000年春以来ネットビジネスにかなり腰が引けていて、ましてやUGMなんて儲からないだろというのが常識だったので、このお金はとてもありがたがられた。SNSが一気にユーザーを集めるにはまだ2年半以上あったものね。別にこっちは慈善事業でやったわけでなくて、絶対に化粧品分野のUGMというのはお金になると思ったし、何しろCEOが良かったので投資したのだけれど。今回、東証でのセレモニーにもご招待されたのだが、在サンディエゴなので断念した。あー残念。


吉松さんは、ビジネス(収益)モデルおたく。ものすごいアイディアマンだが、いつでも事業をしかけるのが早すぎだった。たとえば今でこそ「ビッグデータ」とか言われて期待されるようになった領域だが、@cosmeに集まるデータの分析ツールをASPサービスとして化粧品メーカーに2002年から販売していた。僕もこの営業をしていたんだけど、さすがに早すぎてそれほど売れなかった。潜在顧客の中には「ユーザーに代表性がない」と言う人もいたような時代だった。でも彼の成長に加え、2005年頃から現経営陣が揃い始めて、だんだんと事業への投資が良いタイミングになっていった。


「ユーザー中心の市場を作って化粧品流通を変える」というのが彼らのミッションなので、これからは2007年から始めているリテール事業の「@cosmeストア」が鍵になる。ピュアなネット企業ではないが、それゆえに上場による資金調達は必然で、今後の動向が楽しみである。


最後になったが、おめでとうございます!

ダンパー数突破記念 FBでのコンテンツ量調整メモ

Facebookでの友人数が150名(ダンパー数)を突破した。昨年の3月11日直後が50〜60名だったので、1年でおよそ100名が増えたことになる。もちろん全員がヘビーユーザーではないし、閲覧だけの友人もいるわけだが、News Feedにデフォルトで現れるコンテンツ量が増えたは間違いない。ということで僕の現在のコンテンツ量調整法について書いておく。2年後にでも振り返るための自分メモとして書いているが、本当はこういう使い方こそ共有したい情報だよな。


まず前提を書いておく。僕とWeb情報との付き合い方みたいなものを。


Web大好きだった自分だが、2009年後半のリアルタイムウェブ化以降はあまりたくさんのWeb情報を浴びるのは良くないと考え始めるようになった。年初にインフォメーション・ダイエットというブログポストをしたが、中でもFBの多くを占める友人の近況にはさほど興味がない。というか、これに時間を費やすよりは他に見る・読むものがあるという考え方。


またこれはFBに限らずWeb全般の情報についても当てはまる話で、最近は英語圏の先見性のある編集者や学者のブログと解説記事を中心に厳選して読んでいるのが実情だ。その場でも読むけど、Instapaper (Instagramじゃないよ)にスクラップしておいたものをeブックのキンドルに落として、1週間に2度ほど、そこからさらに厳選してeインク上で落ち着いて(ここ大事)読む。通常のニュースなら日本語訳がすぐ出るので、これから議論になりそうな点を探すという観点からの記事抽出だ。根本にあるのはWebはあまりPushで読むものではないという考え方。


で、本題へ。


2月28日現在151名の友人がいるが、内訳は概ね以下のとおり。

以上で大体1/3の49名ほど。(第1カテゴリー:古くからのフェイスブックユーザー)

  • 小学校からの友人0名
  • 中学校からの友人6名
  • 高校からの友人12名
  • 大学からの友人6名
  • 修士課程からの友人10名
  • 博士課程からの友人6名
  • その他友人7名

以上で大体1/3の47名ほど。(第2カテゴリー:損得勘定が全くからまない「友人」)

  • 第一の職場での同僚(友人)12名
  • 第二の職場での同僚(友人)12名
  • 第三の職場での同僚(友人)8名
  • 第三の職場でのクライアント4名
  • 現在の同僚(友人)1名
  • その他アカデミア2名

以上で39名ほど。(第3カテゴリー:苦楽を共にした同僚や友人)

  • 学生(教え子)4名
  • 外人(上記以外の)6名
  • サンディエゴ5名ほど

以上で15名ほど。(第4カテゴリー:その他)
合計で概ね150名ほどになる。なおサブスクリプションはゼロで使っている。


で、コンテンツ量調整だが、第1カテゴリーについては2/3の人はOnly Importantだけの表示にしている。多くはそれなりに著名なWebサービスの運営をしている人で、FB以外のニュースソース(twitterやニュースサイト)から案外近況はつかめるからだ。また、たくさんコメントがついたもの(このカテゴリーは友人の多い人が多い)はエッジアルゴリズムで上がってくるので見逃さない。多分。残りの1/3にあたるそもそも投稿量が少ない人や投稿数が多くてもこの人だけはという人についてはMost Updateを表示するようにしている。有益なリンクを教えてもらうこともたまにある。


第2カテゴリーから第4カテゴリーまでについては、Most Updateにしているが、コンテンツの種類をPhotoのみに限定して表示している人が2/3。友人になりたての人も多いので、その人についてはコンテンツ発信量を見極めている段階とも言える。えてしてFBやり始めて間もない人は投稿量が多い。Photo限定にしたのはその人の非日常であれば知っても良いという考え方で、まあまあうまく機能している。毎日の昼飯をアップロードする人の対策にはなっていないんだけど(笑)。


で、僕は閲覧はほぼ毎日朝に1回しているのだが、写真を中心にコンテンツが上がっていて、多ければ4画面程度、少なければ限りなくゼロという感じ。量的に少ないのでNews Feedに現れたものはほとんど見ていることになる。なお写真なので明らかに週末の方がコンテンツが多い。また感覚的なものだが、多分News Feedの情報量は60〜90%ほどデフォルト設定から減っていると思う。ただしそれでもFBがなかった時に比べればもう十二分。それにしてもみなさんはデフォルトでの設定量をくまなく見ているのかね? こことても気になる。


また、僕はあまりLikeを押したりコメントを書いたりする方ではないと思うが、それを通じて共通の友人の近況がわかったりする。あとは高校友人リスト、かつての職場ごとのリストも使っているので、たまにこれを見ることでNews Feedで見落とした情報を得ている。と、ここまで書いて、使い過ぎでないのかと言われてもしょうがないくらい少なくとも閲覧しているような気がしてきた。


Facebookへの要望としてはMost UpdateとOnly Importantの間にもう1つ目盛りが欲しいというのがある。Only Importantにすると表示量が1/100という風に激減する人がかなりいる。自分の日常を1日数回、Webのリンク、昨晩の夕食の写真もアップするような、僕にとっては「お前シェアしすぎだろ!」という人のコンテンツは本当に減ります。ほぼゼロになると言っても過言ではない。フェイスブック的には「お前、オワコン的」な。みなさんご注意を。


という僕なんだけど、今は海外暮らし1年目で発見も変化もあるし旅行にも行くので、自分としては1週間に1度程度という高頻度でコンテンツをアップしている。プライベートのことばかり。まああと1年もすればほとんど黙ると思いますのでご容赦を。


で、この僕の投稿にLikeしたりコメント書く人はほとんど第2カテゴリーなんだな。あとは第3カテゴリーか第4カテゴリーのごく一部。この第3カテゴリーと第4カテゴリーについてはどちらかというと最近会っていた人が反応し、フェイスブックにおいても「去る人日々に疎し」はこれらのカテゴリーには当てはまる。ただし第2カテゴリーはやっぱり別なんだよね。興味深いコンテンツなら反応がある感じなので、それなりにくまなく僕の投稿は見ていると思われます。逆に第1カテゴリーの人については仕事で使っている人も多く僕のプライベートにはほとんどリアクションしない。見ている人もいることは話を聞いたり個別のメールでのやりとりでわかっているのですが。


でもリアクションの総量については僕には十分な量です。ここが増えるとまたダイエット方法を考えないといけない。ただし友人増加ペースは落ち着いてきたので、2年後にはさびしくてもっと表示量は増やしているかもしれない。あるいはもう飽きて閲覧頻度が大きく下がっているかもしれないな。さー、どうなることやら。

ファインダビリティとアンファインダビリティの境界

それが「ファインダビリティ」なのだと言われてしまえば、「ごめんなさい」と謝るしかない。だが、先日ある商業系カンファレンスを聞きに行って思い浮かんだことばが「ファインダビリティとアンファインダビリティの境界」というものだ。


そのカンファレンスはOnline Marketing Summitというもので、毎年サンディエゴで行われているものらしい。アメリカのソーシャルメディアの企業での利用事情を少し肌で感じようと思って出かけてきた。
http://www.onlinemarketingsummit.com/


検索キーワード4語(英語だけど)で検索結果に自分のブログがひっかかった時に潜在顧客とやり取りが最も続く、というデータを引きながら、デンバー在住のソーシャルメディアコンサルタントのおばさん(Heather Lutze)は、Googleでも検索結果上位に現れるようになってきたFBのプロフィールページやTweetYouTubeのビデオタイトルに自分を象徴する4語をふんだんに盛り込む。そして主観でなく、ツールを駆使して客観的にキーワードを調べて4語を選べと言う。


「こばへん」ばりに「これからは自社メディアが大事」と力説する、その筋ではかなりの有名人らしいソーシャルメディアコンサルタントのMichael Stelzner (https://twitter.com/#!/mike_stelzner)はこう言う。人気ブログになるためには、「他人を持ちあげろ」「時の人へのインタビューをしろ」「自分ではなく他人にフォーカスしろ」「読みやすいフォーマット(多すぎない字数とか、5つの××とか)を持て」と。


たしかにそうなんだろうとは思う。マーケティングのカンファレンスだし、法人ならもちろん個人でも商売をする人ならばそれは必要なことだと思う。それを否定しはしない。でもこれだけ検索される世の中だからこそ、個人の態度としては、むしろ1人よがりで、主観オンリーで、読みにくくても良いのではないかというのが僕の感想だ。


個人のブログなんてのは、ファインダビリティを意識する必要はほとんどない。読者のことはほとんど考えず、だから読みやすさも意識せず、自分の記録として書けば良いように思う。そのようにやっていれば、アンファインダビリティの力学が働いて、われらの検索ワールドでは両者の境界あたりに落ち着くコンテンツになっていくはずだ。


そして、そのファインダビリティとアンファインダビリティの境界に位置するきわどいコンテンツを見つけてくれて、感想までよせてくれた人とはちょっとした会話をかわせばよい。仮にやたらと共感されたり、有り難がられたら会ってみるのも良し。SNS全盛の時代だからこそ、そのきわどい情報を起点に生まれる出会いにこそ醍醐味があると思う。そんなインタレストグラフベースの粋なサービスが生まれたら良いのだが、どうしてもポピュラリティという要素は排除できないよな。


そんなところへと妄想を馳せ、昼飯でとなりに居合わせたおにいちゃんに「これからはUnfindabilityだな」と言ったら怪訝な顔をされたわけだけど。

Google+のサークル整理とその後の使用感

年末にGoogle+のサークルを整理して1ヶ月半ほど使ってみての報告。


2011年に数ヶ月G+を使ってみて、サークルには受信用(閲覧時の画面表示切り替え用)と発信用の大きく2つが必要ということがわかった。自分が読む時のことはすぐに想像できるが、実は発信する相手について自分が読むためのサークルとは別に考えないといけない。自分の発信内容に合わせて相手を切り替えられるというのがG+の1つの特徴だからだ。


ただ自分がわざわざ発信用サークルを分けて発信しても、先方が自分をどのサークルに分類しているかわからない。なので、発信用サークルは実質的には「Public」とその他とても具体的な集団の大きく2つになるような気もした。後者の例としては、たとえば僕なら「ゼミ学生」とかそういうもの。つまり相手も同様な名前で作るだろう誰もがメンバーを認識できるサークルである。このあたりはサークルのシェアができるようになったので、かなり便利になったと思う。


実際にサークルを整理するにあたって参考にしたのはべにぢょさんのこのブログポストである。
初めてのGoogle+!楽しく使うために最初に知っておきたいこと
読むと彼女も受信用サークルと発信用サークルとを作っていることがわかる。


で、僕の話。まずは受信用であるが、1:Must, 2:Follow, 3:Photo, 4:Who Circled Meの4つ。べにぢょさんの知恵を借りて頭に「-」をつけた。Volume Sliderによる表示量はそれぞれ100%、75%、75%、25%。


1:Mustは投稿量が適量で質も高い人。つまりG+を知的刺激の道具と位置づけ、かつ僕の情報受容のセンスと合う人、すなわち投稿量が少ない人を英語圏中心に10名。10名から15名が上限という考え方で完全に量をセーブ。投稿がゼロという日もある。そのかわりなるべく読むという位置づけ。


2:FollowはMustの予備軍で50名。Mustに入れた人はあえてFollowから外した。つまり面白そうな人はまずはFollowに入る。それで自分と波長が合えば1:Mustに昇格する。サッカーのJ1とJ2みたいなものである。ただしJ1 に上がるのに大事なことは、量が少なく質も高い2つを満たすこと。この構成で1ヶ月強使って特に不満はない。インフォメーション・ダイエットのコンセプトにしたがって食べる量を減らしているわけである。


また写真がキレイに表示されるのがG+の特徴で、かなりプロやセミプロ写真家が使っているようなので、3:Photoサークルを設定し、欧州とアメリカと日本とでとりあえず6名とした。1ヶ月使ってこの数は7名に増えた。


未だよくわからんのが、4:Who Circled Meの扱い。G+のサービス開始からどんどん追加していた人たちを11月から減らしていて今は160名ほど。アクティブユーザー比率は低いけど、表示量を25%にしてもMain Streamにはそれなりに紛れ込んでくる。この人達は「なう」的投稿もしている。その手のコンテンツはtwitterとFBでもう十分なので、Volume Sliderによる表示量を10%にして欲しいが、無理ならそのうちどのサークルにも入れない人という扱いになってしまうだろう。


で、Main Streamを2,3画面見て、あとはMustで読んでいない記事を確認するというのが閲覧時(3日に2日は見る)の習慣である。気分しだいでPhotoを見る(2週に1回ぐらいか)。情報量は少ないので、ストレスはない。興味深いニュースや論考に高い確率で出会うツールというのがG+の受信者としての使い方だ。


つづいて発信用サークル。


こちらはA:Private, B:Web仲間, それにC: Meの3つ。こちらもべにぢょ流に頭には「+」をつけた。ただしA:Privateサークルの中は現状ではゼロ人。自分の私的な部分をさらせる中高大などの友人はやっとFacebookに増えてきた段階なので、こうなる。


B: Web仲間は、顔見知りのWebサービスアーリーアダプターである。Web関連の話題なら読んでくれる確率高い相手で概ね50名。受信用のFollowと半分ほど人間は重複している。だが、実はこの層もまだFacebook派が多い。僕はFBをそろそろ古典的な意味での友だちへ近況を伝える道具にしたいと思っており、もうそういう使い方にしているのだが、僕のFB友だちに多いWebサービスアーリーアダプターでもG+よりもFBは遥かに使われている。FBは小さな会社の社長やフリーランスの人には格好の人脈メンテの道具になるので、これは仕方ないところ。しかもB:Web仲間向けに投稿したことはとても少ない。すでに書いたが、この層に限定する意味がよくわからず、だったらPublicで良いのではと思ってしまったからである。


そしてC: Meサークル。これは自分だけに投稿する機能である(手続き的には誰もサークルに入れないというようになる)。つまりは自分のアイデアを投稿する場所である。検索機能が優れているのと、Evernoteはてブの転送機能という使い方しかしていないので、メモ投稿機能として使い始めてみた。このような使い方をしている人はそこそこいるようである。でも1月たってもそれほどここへの投稿量は増えない。ブログを書くようにしてから、下書きは従来どおりGoogle Docsと決まってしまったからだ。僕のブログは大体Docsで下書きをざっとして、違う日に1度か2度書きなおして、あるいは書き加えて投稿という感じである。


G+で投稿量が増えないのは、Meサークルのみならず、PublicもWeb仲間も同様である。結局ブログを書くようになると、まああとはどうでも良くなるのである。もちろんたまにtweetボタンがそのページにあるニュースをtwitterに流すこともあるし、FBに近況も書くのだが、興味関心を同じくする人と知り合いになるにはブログコンテンツがやはりもっとも良いと思うからである。ちなみに先日はじめてブログ更新のお知らせをG+に流したら、コメントが2つもついた。あとはもし僕の読んでいるコンテンツに興味があれば、はてブtwitterをフォローしてくださいという感じ。先日、こちらでOnline Marketing Summitというのを聞きに行ったが、みなさん「俺を見つけてくれー」に躍起で、それはマーケティング的にはそうなんだけど、世も末的な感じがした。次回はこのことをブログで書くかも。


さて最後に他サービスとの関連だが、FBは自分の中では古典的な友人とやりとりするための道具となった。年明けから閲覧も投稿も頻度を下げて、しかも人によってNewsFeedに表示されるコンテンツを調整してここでも食べる量を減らした。実は表示されるコンテンツはほとんど写真なのだが、朝、起きて見ておしまい。ねぼけていてエンジンかかっていないので、Likeすることは少ない。そうでもしないとすぐ食べ過ぎになるので、こういう習慣を導入した。実際は暇な時に見てしまったりするのだが、写真だけの表示にしてあると、更新量が少なくて面白くはないので、昨年よりも摂取量はかなり減った。


twitterの位置づけが微妙で、実はかなりG+とかぶる。というのは英語圏面白い人達はtwitterではリンクの紹介が中心で、日常をあまりつぶやかないから。ただしG+の「Share」ボタンがあまり出回っていない現段階では、G+に投稿するためには自分でリンクをコピペする必要がある。つまりG+の仲間と、共有し、少々長めのコメントも書くものなので、やや硬めの論考がtwitterに比べて多い。というわけでtwitterは日本語と英語のニュースが半々に英語の個人ブログが混ざる。G+は英語の個人ブログが主で、日本語の長めの記事もたまにありという感じだ。


ちなみにtwitterは本家サイトに行くと「なう的」投稿が多いので、僕はあまり本家には行かずにCrowsnestを使ってニュースのみを読んでいる。もう1つ余談だが、GoogleニュースにはG+でシェアというボタンがなくて「+1」のみ。G ReaderにはG+でシェアというボタンがあるのはGoogle社のストック情報重視の姿勢の現れなのかね。ソーシャルと言いながら。


とにかく目に入らないこと、知らないで済ますことが重要と考えるようになったので、G+のVolume Sliderは気に入っている。FBも表示されるコンテンツ量を減らしたおかげでかなり健康的になったと思う。ただし全ての友人に対して量の調節をしなければならないので面倒。ここはG+の優位性が大いにあると思う。

ザッカーバーグの言うオープンはオープンではない(株主への手紙)

2月1日以来、アメリカでもFacebookIPOが大きな話題になっている。いやでも目に入る記事をいくつも読んで、僕の持っていたイメージよりもザッカーバーグが遥かに成熟しており、高貴な思想の持ち主であることを知った。


だが、調達資金の使途が不明確なIPOは不必要でもある。結局従業員と株主を喜ばせるだけのIPO。そのタイミングとしては世間的な評価のピークに近い今が良いと思うんだが、奇妙なIPOであることには変わりはないだろう。


というやや否定的な見解を持ちつつ、日経新聞にも全訳が出たザッカーバーグからの株主への手紙についても目を通してみたのだが、これがまた変なんだよね。僕にとっては。
http://www.nikkei.com/tech/trend/article/g=96958A9C93819499E2E0E2E2828DE2E0E2E0E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2


それはこういう文句から始まっている。

フェイスブックはもともと、会社を作るために始めたサービスではありません。「世界をよりオープン(開かれたもの)にして人びとの結びつきを強める」というソーシャル(社会的)な使命をなし遂げるために、作られたものです。

ふむふむ。このミッションには概ね賛成するのだが、オープンという言葉がひっかかる。というのもFacebookはインターネットの中に閉じた世界を作っている企業だから。誰もがアクセスできる意味でのオープンではない。あまり良くないたとえだけど、遅れてきた、とてつもないアプリを引っさげてきたプロジディ。エンジニアの質も経営陣の質もぜんぜん違うけどね。


さらに読み進み、以下の部分でまったくザックの言っていることが全くわからなくなる。まあ彼は「信じている」のだからしょうがないけど。

多くを共有する人は――例え親友や家族とだけでも――よりオープンな文化を生み、他人の人生や考え方についてよりよく理解できるはずです。このことにより非常に多くの強いつながりを生み出し、人びとが多様な考え方に触れる機会を作ると信じています。

多くの共有をする人が、他人の人生や考え方についてよりよく理解できるとは私には思えないなぁ。多くの共有をする人は、他人との違いが存在することには気づくだろう。だが、そのことが他人への理解につながるとは思えないのだ。ここの壁は厚く、高い。もっと言うと考え方の近い人がお互いちょっかい出して喜んでいるんじゃないの。平時には。


いざという時のソーシャルメディアの有用性は認める。切羽詰まった時の共有がものすごい力を生むこともある。でも自分の「過剰な近況」を共有し続ける状態にある人に、深い意味で相手を理解する気などほとんどないと思うけどね。仮に相手を理解していてもそれは表層的なものだろうという僕の考えはおかしいのだろうか。よく言われるように所属欲求と承認欲求を満たすだけの道具ではないだろうか。僕だってそれを使う動機はそんなところにある。でも少しは受け手に対して気遣いがあるということかな。


ということで、これは「Facbook本」を読んだ時にも感じたことだけど、ザッカーバーグにとっては「オープン」なんかよりも「共有」という行為そのものが絶対的な善なのだろうとやはり思うわけである。オープンについては、彼にとってはある種どうでも良い言葉。公(オープン)に共有しようが、仲間内で共有しようがどっちでも良いのである。違うかな? 「ハッカーウェイ」って言っているのだから、ハッカー的な「オープン」の意味も「共有」の意味も知っているはずだけど、そこについての思い入れはストールマンの鼻くそほどもない。


たとえば上の部分については、「オープン」を「フラット」と置き換えたってすんなり読めてしまう。むしろそのほうが誤解を招かずしっくりくる。情報を共有するということは隠蔽することの逆で、これは情報秘匿による権力の発生を抑えようという話につながるからである。現にそれは以下の部分でも述べられている。

人びとがこうした関係を構築することを手助けすることにより、情報の共有や消費の方法を書き換えたいと私たちは考えています。世界の情報のインフラは、これまでのように巨大で一体となったトップダウンの構造よりも、ボトムアップもしくは(個人が様々なルートでつながる)ピアツーピアな構造が好ましいはずです。また、人びとが共有する情報を自らコントロールできることが、この「書き換え作業」の基本的な指針であることも申し添えておきます。

ボトムアップのピアツーピアとはまさにフラットである。その部分は僕も首肯する。ただしそのフラットな関係はクローズドなフェイスブック空間に作られる。そして、それはけっしてオープンではないのである。


なるほどFacebookは価値があるし、それをくさしても全く意味がないわけだけど、ここでのオープンの使い方は気に入らないねって話。だからFacebookには投資はしないよ。という彼の思想がわかったところで、さて、「パブリック」を日本語でしっかり読んでみるか。


関連記事で僕が共感するのこのあたり。
John Battelle
http://battellemedia.com/archives/2012/02/its-not-whether-googles-threatened-its-asking-ourselves-what-commons-do-we-wish-for.php

James Fallows
http://www.theatlantic.com/technology/archive/2012/02/facebook-google-and-the-future-of-the-online-commons/252522/

そして時すでに遅しという記事も。
Robert Scobles
http://scobleizer.com/2012/02/04/its-too-late-for-dave-winer-and-john-battelle-to-save-the-common-web/