2002年 サッカーワールドカップ 韓国対イタリア

4年前はこの試合だけ現地で見たのよね。メキシコが来ると思っていたら、韓国でしたというお話。実は韓国はこの後、スペインにも勝って4強になったのよね。これを読むと今回も韓国は1次リーグは突破するという話になるが、前のエントリーでは落選と予想している。まあ、気楽に見ようよ。


「貪欲」と「自信」と「誇り」

試合開始前からの韓国サポーターの統制され、さらに絶え間のない応援に驚愕した僕だが、イタリアは想像を越えてタフだった。ブーイングの中で粛々とウォームアップをこなし、試合になっても黙々とプレーを続けた。開始4分でとられたアン・ジョンファンのPKをブフォンがはじいたときも、何人かのディフェンダーが彼の頭をかるくタッチしただけで、実に冷静にプレーを続けていた。そして18分のコーナーキックをビエリが絶妙のポジショニングとショルダーチャージとヘディングでものにすると、カテナチオの体制に入り、時間だけが刻々と過ぎていった。

もちろん後半に入ると韓国には何度か決定的なチャンスはあった。しかし時計が80分を過ぎて、トッティやビエリがサイドライン際でボールを巧みにキープしたり、前線でのチェックを韓国選手が怠るのを見逃さずにキーパーのブフォンがペナルティーエリア内で時間稼ぎのドリブルをするという光景を見ていると、このまま試合終了のホイッスルが聞けるだろうという感じがしてきた。そして、波乱含みの今大会がやや秩序を取り戻すだろうことに安堵を覚えはじめた。

しかし、88分にイタリアのゲームプランが崩れ去った。右からのセンタリングが影になったマルディーニの頭ごしに突然現れたため、パヌッチはボールの処理を誤った。慌てて伸ばした右足のつま先はボールに触れることができず、傍らにポジショニングしていたソル・ギヒョンの左足は軌道に変化のないボールを的確に捉えた。正確にコントロールされたボールは右のサイドネットを揺らし、韓国が同点に追いついた。瞬間、スタンドには歓声が響き渡った。

「テーハンミング!」の大合唱はさらにボルテージを増し、延長に入ってからはさらに勢いに乗って攻める韓国。延長後半18分にファン・ソンフォン、同23分にイ・チョンス、そして同38分にはなんとホン・ミョンボまで交代させ、チャ・ドリと3枚のフォワードを投入したわけだから、前がかりになるのも当然だ。それでもこの試合では特に読みが冴えていたマルディーニ、左のサイドバックを任されたネスタの代役ココも頭に包帯を巻きながら粘り強いディフェンスで対応した。

僕は試合開始から、韓国サポーターの応援には圧倒されていたが(きっと声を出している時間は僕の知るどこのサポーターよりも長い)、後に日本のマスコミが書きたてるサッカーというゲームでの韓国の攻勢をさほど感じ取ることはできず、イタリアの冷静な試合運びばかりが目についていた。事実、韓国の左サイドのソル・ギヒョンはほとんどクロスボールを上げることはできなかったし、イタリアのカウンターを警戒しすぎた韓国守備陣の攻撃参加は少なかった。

そんなわけだから、PK戦を恐れ前がかりで攻める延長後半の韓国の姿にむしろ焦りを見て取った。それに対してPK戦でもよいと半分覚悟を決め、時折トッティとビエリそれに途中交代のディリーヴィオやガトゥーソが絡むだけでゴール前までボールを運ぶイタリア。「PK戦に弱い」というレッテルを貼られているイタリアはこの日の試合に限っては存在しなかった。僕は延長戦前半を見ながらPK戦でイタリアが勝つと考えた。

ところが第二の不運が103分にイタリアを襲った。中央からペナルティーエリア右サイドに回りこんで倒れたトッティに対して掲げられたのはこの日2枚目のイエローカード。それによって彼は退場。個人的には、あれはシミュレーションではないと思っている。エクアドル人のモレーノは試合を台無しにした。

こうなるとさすがのイタリア選手にも落胆の色。それまでトッティ、ビエリ+1という3人の選手で時折得点チャンスを作っていたイタリアからゴールデン・ゴールの確率がほとんどなくなると、不思議なものでにわかに焦り始めたのはイタリアだ。体力的な限界が近づいていることも影響した。

時計の針は午後11時少し前だった。アン・ジョンファンのヘディングで方向を変えた左からのクロスボールはイタリアの守護神ブフォンの手をかすめゴールネットを揺らした。それはカテナチオがこの日2度目に開いた瞬間であり、デジョンスタジアムが横断幕に掲げられたとおりアズーリの墓場となった瞬間であった。そしてわずかな静寂の後、スタジアムは大歓声に包まれた。

実は、僕は韓国の2点目のゴールのあとのわずかな静寂が今でも記憶に残っている。それは一瞬スタジアムが無重力状態になったような感じで、僕が今回の韓国旅行で、もっとも強く感じた奇異な感覚であった。

試合終了後に、スタジアムはもちろん、その周辺、デジョン市内、そして韓国全土で続く「テーハンミング!」の大合唱を聞き、老若男女を問わず箱乗りしながらクラクションを鳴らしまくる輩を目にしても、このわずかな静寂について僕はずっと考えていた。

異論はもちろんあるだろうが、同じ日にイタリアよりははるかに格下のトルコに敗れた日本を見るにつけ、このわずかな静寂を、韓国サッカーが「貪欲」のステージから「自信」のステージへと昇華した瞬間と当面は結論付けることにした。過去5回のワールドカップで一度も勝てなかった悔しさを知る韓国サポーターが、ポルトガル、イタリアという欧州の強豪を連破して、サッカー先進国の仲間入りをする通過儀礼のための静寂というわけだ。

「自信」というものは一朝一夕で生まれるものではない。たとえそれが一瞬で壊されることはあっても。そして「誇り」もまたしかり。イタリアは長い年月をかけて築き上げた「自信」と「誇り」をわずか一瞬で失った。ペルージャガウチ会長のアン・ジョンファン追放発言が象徴的だ。もやは恥も外聞もない状態にまでイタリアは打ちのめされたのだ。

翻って日本はどうだろうか。日本には「貪欲」さはあったのかもしれない。少なくともグループリーグを突破するまでは。しかし「自信」は決して生まれなかったはずである。16強を決めた後でもだ。そもそもそんなに短時間で生まれる「自信」なんて本物の「自信」ではない。無条件で日本代表を礼賛するさまざまな情報と水準の低いサポーターとによって気持ちの整理のつかなかった選手が、あまりにすんなりと決まった16強という結果によって背負ってしまったものは「過信」でしかなかったのではないか。雑誌「ナンバー」の表紙にBe Proud!とあるのを見て嘆かわしく思う。「誇り」のステージにまで日本代表が届くにはまだまだ時間が必要なのだ。

とはいえ、僕のこの結論も当てになるものではない。しかし仮に韓国がスペインに勝つとすれば、その勝利は「自信」の結晶化であり、この結論も信憑性を帯びてくる。そしてまた日本が韓国とサッカーにおいて大きく水をあけられたという証でもあろう。それは16強と4強という数字以上の何かである。というわけで、おそらく現地に行かねば感じることのできなかったあの感覚とその後の考察によって導かれた自分の当面の結論の妥当性を検証するという観点から韓国−スペイン戦を見ようと今は思っている。