つながりの可視化

すでに書いたように、5月10日にある書きものが手を離れ、21日にその件に関しては私の手を完全に離れた。かなり精神的に楽になり、意識的に脳みそ使わず体を使うようにしているのだが、時同じくしてGreeのアクセス機能というのがリリースされた。

「これはヤバい」

明らかに面白いのだ。Mixiが伸びた訳が実感できた。要は、暇だからなのだが、時間つぶしにはSNSというのは面白い。「へー、こいつの友達にはこんな人がいるんだー」とか思いながら、かわいい感じの女の子の写真があったりするとついつい見てしまったりする。そして、「それもアクセス記録が残るんだよね」ということを思い出し自制したりする。

誰が自分のページを見に来ているかがわかると、そいつらのうちの誰かさんを意識したブログを書こうなどと思うようになる。たまたま取り上げたテーマがちょいとウケたようで、1日に500近いPVを獲得。するとアホなもんで、書く意欲が湧いたりする。これは私がシェアウェアの研究をしていたときに異口同音にその作者から聞いた話に近い。

でも違うのは、シェアウェア作者は、ユーザーとやりとりする中で、機能価値を持つコードを書いていた一方で、私の書く駄文は明示的な価値を持たないわけだ。サイモンはそれを過程記述と状態記述という。過程記述というのはてこ比が高いけど、状態記述というのは恐ろしくてこ比が低い。ほとんとゴミである。そんなものに時間を割くのはアホでないのという気もする。

でも、今回の自分も含めてそういうアホっぽいことをやってる人は沢山いるんだろう。先日インタビューしたアバターコミュニティサイトってのは月のPVが3億近いのだが、「おはよう」とか「げんきー」とか短いセンテンスでやりとりされていくせいで、PVを稼いでいるのだという。ユーザーは30代と40代の主婦が多いそうで、運営者の分析では現実世界から逃避したいという人が多いということであった。

ニートとか学生とか夫の帰りが遅い主婦みたいな拘束されるパブリックな時間というものが少ない人が、ネットにはまっていく初期プロセスを体感したわけだが、ぼちぼちやらねばならないタスクを整理して、このアクセス機能が整備されたGreeリンク元を表示してくれてしまうはてなに割く時間を減らさねばならない。つながりの可視化ってのを「うざい」と思うぐらいの実社会における活動時間は持たないとね。というかそもそも可視化されたつながりなんてものを見る時間はいらないのではないかという気もする。技術ってのはあなどれないな。怖いよ。

ちなみに、なんでこんなのが売れるの?ってことで手に入れたOrange Rangeのアルバムには「以心伝心」ならぬ「以心電信」という歌があり「だっていつもぼくらはつながっているんだ」という詞がサビ近くにあった。また大きなプロジェクトが手を離れた21日にやや脱力しながら渋谷で見かけたColaの看板にあったコピーは「つながる瞬間に。」というシチュエーション・マーケティングの権化のような文句であった。