ウェブ学会 シンポジウム

銀杏のきれいな時期に2度目の東京大学へ。


今回のシンポジウムで最も興味深かったのは、東浩紀氏が「一般意志2.0」について語った中で引用したルソーの「社会契約論」に現れる以下の一文。

Si, quand le peuple suffisamment informe delibere, les citoyens n’avaient aucune communication entre eux, du grand nombre de petites differences resulterait toujours la volonte generale, et la deliberation serait toujours bonne.(アクサンはすべて消えております)

「人民が十分な情報をもって議論を尽くし、たがいに前もって根回ししていなければ、わずかな意見の違いが多く集まって、そこに一般意志が生まれるのであり、その決議はつねに善いものであるだろう。」(中山元訳、『社会契約論』、光文社古典新訳文庫


半過去+communicationは「前もっての根回し」となるのか。


さらに、東氏のコメント通りに、たしかにdeliberateの語源が「重さを量る」だと知る。よって上の一文は鈴木健氏のdivicarcyを実現する実装システムの推奨文とも読める。これには興奮した。そして、だとすれば、divicracyは「一般意志2.0」じゃなくてルソーが夢想していた「一般意志」そのものを生成する仕組みかもね。


divicracyについてはきっとログが他に上がっているから触れないが、僕の言葉で言えば、

  • 動的で
  • 委任可能で
  • 分割可能な

投票権を含んだ自動的な仕組みだ。会場の各所で「?」が浮かんでいた感じだったが、「ネットコミュニティ通貨の玉手箱」以来の鈴木氏の思想の変遷(というよりも一貫性)を知る私には、よくわかる話だった。


さて、というこの「ウェブと政治」セッションを中心に私がシンポジウム全体から触発されて考えたことは以下のとおり。


ウェブを介したコラボレーションにとっては、情報をどういう大きさの単位でやりとりするかという「情報の単位化」がその成否を決める1つの要因になるのではないか。「情報の関係性」を人間やコンピュータが理解する(人間の場合は理解した気になると言う方が精確かも)上では、「情報の構造化」も重要なんだが、「情報の単位化」も同時にとても重要ではないか。


たとえば、2000年にPermalinkがブログに実装され、1エントリー=1つの情報単位と人間が書式をなんとなく決めたことで、単位情報の意味解釈の容易さが生まれ、情報単位間、すなわちページ間のリンク促進が促進された。またtwitterでは140字という単位化によって、もっと大きな単位情報の表出形態では、なかなか言えなかったことが言えるようになったという話もあった。また人間が欲しているのはドキュメントではなく、オブジェクトだという話もあった。


同じように、divicracyでは自分が持つ1票をどういう小ささ・大きさで単位化し、分割していくかという設計がそのシステムの受容に影響するのかもしれない。